2011-02-21  レトリーバル No.5

正気を取り戻した私は、弾かれるようにして、ユアンさんから体を離す。

彼は自分の背中を押さえ、前のめりに体を倒す。

それを見て、自分の振る舞いに思い至る。

「ア………ユア………、ご………、き………。ウ………、す……ウッ…。」

(あぁ、ユアンさん、ごめんなさい。傷つけるつもりじゃなかったの。
 そんな、ひどい事をして…。すみません。許して…。)

私は体を震わせながら、何かを話そうとするが、言葉にならない。

(何て、酷い事を!彼を傷つけてしまって。
 自分が苦しいからって最低だ!
 彼を傷つけるくらいなら、私がズタズタになってしまえばいい!!)

私は体を震わせながら、両手の拳をきつく、きつく握り締める。

彼が、上体を起こしながら、顔をゆがませたまま、私に話しかける。

ユ「大丈夫だ。僕はそんなに痛くない。」

私「ユア………、ごめ……、ウ、……。」

(痛くないはずがない!
 さっき、私は無自覚とはいえ、あなたを殺しても構わないと思うほど、激しく爪を立てていたのだから。
 すべてをズタズタに破壊したいと願っていた。
 そんなはずは無い。
 今でも、あなたを殺したくてしょうがない。
 あぁ、こんな私こそ死んでしまえばいい。)

私は、彼の視線を避けるように俯き、体を強張らせながら、必死で両手を握り締める。
涙腺が緩み、壊れた蛇口のように、涙が勝手にポロポロとこぼれる。

ユ「僕なら、大丈夫だから。
  しんじゅ☆♪!ダメだ!力を抜いて!
  手を緩めて。そのままでは怪我をする!
  僕の言う事を聞いて。
  手を僕に見せるんだ。」

私「…っく。」

私は必死で、両手を脇から、彼の目の前に突き出す。
自分の腕なのに、まるで自由にならない。
ブルブルと震えて、異常に重く感じる。

ユ「手を緩めて。力を抜いて。」

彼の目の前に両手の拳を差し出しながらも、自力で手を緩める事ができない。
目の前の両の拳は一箇所に留まることが出来ず、ブルブルと震え続けている。

ユ「深呼吸して。さあ、手の平の力を抜くんだ。」

私「ハァ。ハァ…。」

少しして、拳を握り締める力をわずかだが緩める事ができる。

それでも、指を開く事が出来ない。

彼が、私の手を掴み、一本一本の指を開いていく。

なんとか、両手を開く事ができた。

思わず、自分の手の平を覗き込む。

手の平にはゆるいカーブを描いた赤い爪跡が四つづつ残るだけで、出血はない。

生身の体だったなら、皮膚を突き破り、出血していてもおかしくないほど握り締めていたのに。

相変わらず、涙をこぼしながら自分の手の平に気をとられていたら。

彼がそっと私に近づいて私に触れようとしていた。

私は再び弾かれるようにして、体を離す。

ぞっとするほどの殺人衝動が私の体内を駆け巡る。

私「ユア…さん、ダメ。…危ない…、逃げて……。」

私は自分の両腕に手を回し、震えながら彼にそう告げる。

後ずさりしたいのだが、体がうまく動かせない。

目の前のユアンさんを殺したくて殺したくて仕方がないのだ。

以前のフォーカス35でのミカエルさんへの暴力衝動とは比べものにならない。

ユ「大丈夫だ。僕は君のガイドだ。
  僕が君を守ると言ったはずだよ。
  君に何をされても構わない。
  さぁ。」

私は後ずさりをするも、やはり体がうまく動かす事ができない。
ここで、少しでも体を動かせば、彼を襲うに違いない。
私は、彼に、逃げて欲しくて、頭を左右に振る。

私「ダメ。…逃げて…。」

ユ「どんな事があっても君を絶対守ると言ったはずだよ。
  君を信頼している。大丈夫だ。おいで。」

(ダメ。ダメ。私に近づいては駄目。
 …あぁ、この美しい男を血で染め上げたい。
 喉笛に噛み付き、目玉を潰し、胸を切り裂き、腸を抉り出したい。
 いや、生きたまま、嬲り続けて、命乞いをさせたい。
 この男の断末魔の叫びを聞きたい…。
 あぁ、危険だ…。
 早く、まだ正気の残っている内に、逃げて…。)

ユ「僕は君を守ると言った。そう約束した。」

彼は微笑みながら構わず私に近づいてくる。

私「駄目。危ない…。」

私は涙を流しながら、そう告げる。
この人はなんて事を言うのだろう。
私はあなたを殺したくてしょうがないというのに。
これではギロチンに首を差し出しているようなものだ。
こんな危険を犯すなんて…愚か過ぎる。
それも私の為に。
こんな人がいるのだろうか?
こんな人間は今まで私の周りにいただろうか。
…いなかった。
私のまわりにはこんな人はいなかったのだ…。


彼は私を抱きしめた。

私は彼の腕の中で、腕を突っ張る。

彼を見上げて顔を小さく左右に振る。

ユ「大丈夫だ。君は何も悪くない。」

私「…。」

私は涙がこぼれて仕方が無かった。

再び彼が私を抱きしめようとしたが、彼の服を汚しそうで、腕を突っ張る。

ユ「大丈夫。気にしないで。さぁ。
  つらいなら、声に出してもいいから。」

彼は再び私を抱きしめる。

私の中で、何かが弾けた。

彼の左肩に顎を乗せながら私は大声を上げて泣いた。

私「うわーん、怖かったよー!
  イヤだよー!
  痛いのイヤだよー!
  どうして誰も助けてくれなかったの!
  こんなのイヤだよー!
  わぁーん。うわー!!」

私は子供みたいに泣きじゃくった。

彼に抱きしめられながら。

ユ「大丈夫だ。もう大丈夫。
  君は何も悪くない。いい子だ。」

彼はそう言いながら、私の背中や頭を撫で続けてくれた。

わんわん泣き続けながら、私はふいに理解した。

私は、ずっと、こうやって、心も体も安心して預けられる相手に抱き締めてもらいたかったのだと。

あぁ、私はこんなに渇つえていたのかと。

子供みたいに泣き叫びながら、彼の優しさが心に沁みた。

その優しさは慈雨。

砂漠に降り注ぐスコール。

私は私の心の中の一番柔らかくて、傷つきやすい部分をそっと彼に包み込んでもらえた嬉しさに泣き続けてしまった。

安堵感がひたひたと押し寄せ、私の胸を十分に浸す。

5・6分経っただろうか。

私は泣き叫ぶのをやめて、落ち着きを取り戻した。

はぁ、と一つ深呼吸をする。

彼の鎖骨に額を預けて彼の体温を感じる。

(ガイドって温かいんだな…。
 ずっと、こうしていたい気もするけど。
 ずっと、こうして抱きしめていて欲しい気もするけど。)

私は顔を起こし、袖口でグイッと瞼をぬぐう。
そして、両腕をつっぱり、彼から体を離す。

ユ「?」

戸惑う彼にこう告げる。

私「もう、大丈夫だ。」

ユ「でも…。」

再び私を抱きしめる為、伸ばした彼の右手を私は左手で包み込むように制止する。

私「取り乱したりして、すまない。
  心配をかけたね。
  あなたに頼みたい事がある。
  協力してくれるね?」

ユ「あぁ!」

ユアンさんの顔が輝く。

今、苦しんでいるのは幼い少女。
大人の私ではない。

さぁ、レトリーバルの始まりだ!


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ヘミシンクとゆるゆる日記