私「お母さん…。」
母「ん?何?しんじゅ☆♪。」
私は母屋からお店へと続くドアをそっと押して、その陰からおずおずと商品の陳列をしている母に声をかけました。
私「……。」
母「どうしたの?こちらへいらっしゃい。」
母親は卵のパックを棚に陳列しながら、ちょっと振り返って私に声をかけてくれます。
私は駆け足で母親の太ももに抱きつきます。
母は食品を冷蔵している関係で、店内が常に冷えているため、防寒の為にズボンをはいていました。
母「あ、ちょっと。危ないわよ?どうしたの、しんじゅ☆♪?」
私「……。」
そう言って、片手で私のおかっぱ頭を撫でて、卵の陳列をいったんやめて、値札貼りに仕事を切り替えます。
母「黙ってちゃ、分からないわ?言葉にして言ってちょうだい。」
私「…お父さん、嫌なの。」
母「えぇ?お父さん?」
私「お母さんと寝たい。」
母「あらあら?赤ちゃんが家に来て、しんじゅ☆♪ちゃんも赤ちゃん返りしちゃったの?
でも、お母さん、赤ちゃんにつきっきりだから。
赤ちゃんも夜中に泣き出すし、しんじゅ☆♪ちゃんも寝れないわよ?」
私「…お母さんがいい…。」
母「ダメよ〜。しんじゅ☆♪ちゃん、もうお姉ちゃんなんだから。
お父さんと寝んねしなさい。」
私「う…イヤ…。」
母「…もしかして、お父さんに叱られたのかしら?
そういえば、お腹が痛いと言っていたわね。
何か悪い物でも食べた?」
母親は自分の足元にじゃれつく私の方を見ずに、値札のシールを貼る機械を片手に、カチャンカチャンと角麩に次々とシールを貼っていきます。
私「お父さんにきっくされた。」
母「きっく?あぁ、お姉ちゃんから覚えた言葉ね。
どうしてそんな事するの?」
私「お父さん、しんじゅ☆♪ちゃんが、ステゴだって。
だから、ポンポ痛いことするの。」
母「あはは。捨て子の訳ないじゃない!
お父さんったら、またしんじゅ☆♪にウソついて!」
カチャン、カチャン、カチャン、とリズムよくシールを打っていた母親の手が止まります。
母「キック…。ポンポ痛い…。
しんじゅ☆♪ちゃん、他にどこか痛くなかった?」
私「頭と、アンヨとお手手と、ぜんぶ。
チーしたら、泣いちゃった。」
母「…まさかね…。
全部が痛いなんてことはないから、この子が構ってほしくてそんな事を…。」
私「かまってほしくて?」
母は膝を折って、目に涙をためた私の目線まで降りてきてくれ、そして頭を撫でてくれました。
母「しんじゅ☆♪ちゃん、さみしかったのね。」
私「しんじゅ☆♪ちゃん、さみしかったの。」
私の目から涙がポロポロこぼれました。
母「でもね、しんじゅ☆♪ちゃん。
生まれたばかりの赤ちゃんはね、自分でご飯を食べることもできないの。
だから、お母さんがつきっきりでいないと死んじゃうの。」
私「赤ちゃん、死んじゃうの?」
母「そう。死ぬって分かるかな?」
私「いたいめにあわせて、しばらく会えなくなることだよ。」
母「あら?こんな難しい言葉が分かるなんて、驚いたわ。」
私「みかえるが言ってたの。」
母「みか…?誰かしら。でもだいたい合っているわ。
必ずしも痛い目に遭う訳じゃないけどね。
でも、そうか…上手に説明してくれた人がいたのね。」
私「みかえるはお父さんとお母さんと『いわばともだち』だって。」
母「いわばさん?知らない人ね。今度会ったらお母さんに教えてちょうだい。
しんじゅ☆♪ちゃん、知らない人について行っちゃダメよ?」
私「うん。でも、もう会えないって。さいごだって言ってた。」
母「そう。もうお別れしちゃったのね。残念。」
私「…うぅうぅ〜。」
私は涙をポロポロこぼして泣きじゃくります。
母親は私を抱き寄せて、背中をポンポンと叩いてくれます。
母「よしよし。お友達とお別れして、さみしいのね。」
私「…うん。ヒック。…しんじゅ☆♪ちゃん、ざみじぃ…。置いでかれたの…。
づれでってって、お願いしだのにぃ…。グシッ、グシッ。」
母「お母さんは、しんじゅ☆♪ちゃんを置いて行ってくれて嬉しいわ。
その、いわばさんとか、みか何とかさんにね。」
私「…みがえるぅ…。ウィック、ヒック…。」
母「こんなに小さいのに、お別れが悲しいと分かっているのね。
よほど大切なお友達だったのね。みが何とかさんは。」
私「しんじゅ☆♪ちゃん、ざみじぃよぉ…。ウック、ウック…。」
母「はいはい。しんじゅ☆♪ちゃんは、お母さんの大事な子だからね。
お友達に連れて行ってもらっては困りますよ?」
母親は私を泣きじゃくる私をギュウっと抱きしめて、頭を撫でてくれました。
母「心配しなくても、大丈夫よ。
お友達なら、きっと、いつか、また会えるわ?」
私「ほんとう?」
母「大きくなっても、覚えていたら、きっとまた会えるわよ。」
私「おおきくなっても、おぼえていたら、また会える?」
母「そう、きっとね。お友達なら心がつながっているから、世界中、どこに居ても、いつか必ずね。」
私「ほんとうね。」
母「はは。信じなさいな。おちびちゃん。」
私「うん。」
母「やっと笑った!それにしても、こんな子供に難しい事を覚えさせて。
こんな小さい子にこれだけ悲しませるなんて、謎の人物ね。
お母さんも一度会ってみたかったわ。」
私「みかえるに、また会える!」
母「やっぱり、みか何とかさんなのね。
まるで、外国の人みたいな名前ね。
しんじゅ☆♪ちゃんが大きくなったら、外国へ探しに行くことになるかもね?」
私「がいこくぅ?」
母「さっきのキックも外国の言葉よ?
しんじゅ☆♪ちゃんが、大きくなる頃には、海外旅行もスイスイ行けちゃうかもね?」
私「かいがいりょこお。」
母「うふふ。まだまだ先の話よ、おちびちゃん。
ね、しんじゅ☆♪ちゃん、話は戻るけど。
赤ちゃんはね、まだまだ手がかかるの。
だから、赤ちゃんより先に生まれて、大きくなったしんじゅ☆♪ちゃんは、もう一人でご飯が食べれるでしょう?
だから、夜のお寝んねは、お母さんとじゃなくて、お父さんとしてちょうだい。」
私「お母さんがいい。」
母「みか何とかさんと一緒よ。
今、お母さんが赤ちゃんのお世話をしないと、赤ちゃんと会えなくなっちゃうわ。
ここはしんじゅ☆♪ちゃん、ガマンしてちょうだい。お願いよ。」
私「…赤ちゃんと会えなくなる…。
そんなの、イヤ。
しんじゅ☆♪ちゃん、ガマンする。」
母「そう!偉いわ!
優しい子ね。」
私「えらい?」
母「立派という意味よ。
そして、しんじゅ☆♪ちゃんは、お利口で優しい子ね。」
私「りっぱ?」
母「人より、より良いという意味ね。」
私「しんじゅ☆♪ちゃん、りっぱになる!」
母は目を細めて、私の頭を撫でてくれました。
母「…しんじゅ☆♪ちゃんは、立派を目指さなくてもいいわ。
私はしんじゅ☆♪ちゃんが、五体満足で生まれてきてくれただけで十分幸せよ。」
私「ごたいまんぞく?」
母「体に不自由がないという事よ。
そして、そのまま大きくなって。
優しい女の人になって欲しい。」
私「やさしい女のひと?」
母「ふふ。
優しいという字はね。
人に憂(うれ)うと書くのよ。
人の悲しみまで理解できる人。
そして、優しいという字はスグルとも読むの。
優秀の優という意味でね。
人より秀でているという意味よ。
他人の分まで悲しむなんて、要領の悪い、損な性質だと言う人もいるけれど。
お母さんは、しんじゅ☆♪ちゃんに、優しい女の人になってもらいたい。
人の痛みまで分かる事が出来る人が、本当は優れているのよ。
素敵じゃない?
そして、欲を言えば、人の役に立つ大人になって欲しい。
大人になって、社会に貢献するような人になってくれたら最高ね。」
私「さいこー?」
母「うふふ。もちろん理想はね。
でも、まずはしんじゅ☆♪ちゃんが、素直に大きくなってくれれば。
そして、優しい女の人になってくれれば、十分よ。
人に迷惑をかけなければ、それでいいと思うわ。
それだけじゃなくて、人様の役に立つ仕事に就いてくれたらって考えちゃうけど。
それは欲張りかしらね?
まだまだ、小さいのに、つい熱が入ってしまったわ!
漢字も習っていないのに、こんな事言っても分からないよね?
しんじゅ☆♪ちゃんは、まだ4歳ね。
未来は未知数よ。
お母さんは、しんじゅ☆♪ちゃんの事を、神様からの預かりものだと思っているの。
親の欲目でついつい、自分の言う事を聞かせたくなってしまうけれど。
もっと、自然に任せなければね。
いつの間にか、大泣きしちゃうくらい、大事なお友達ができていた事だし。
女の子の成長は、早いわ。
まだまだ、家の子でいてね、しんじゅ☆♪ちゃん。」