兄「…で、これからは、コンピューターの時代だと思うんだ。」
私「へぇ。」
兄「知ってるか?しんじゅ☆♪。コンピューターはな。
絶対間違わない。
最初に入力したデータをプログラムに忠実に演算して、結果を導き出すんだ。
間違うのは、人間の方さ。
入力したデータが誤っているか、プログラムにバグがあるか。
そのどちらか、またはその両方が失敗の原因って訳だ。
つまり、人間の方が、間違っているという事なんだよ。」
私「でも、そのコンピューターを作るのも、人間でしょ?
それじゃ、どこで間違っているかって、分かるの?
コンピューターが絶対だって証拠にはならないんじゃないの?」
兄「バカだなぁ。さっき言ったろ?コンピューターは間違わないって。
初期データが誤っていれば、もちろん正解には辿り着かない。
入力する際に、人間が誤っていても、もちろん不正解。
プログラムの作成時点で欠陥があれば、これももちろん不正解だ。」
私「それじゃ、不正解ばっかりじゃない。」
兄「そうだな。不正解ばかりが正しいかもしれない。
まるで、言葉遊びのようだが、正解を作る方が難しいのさ。」
私「んん?言っている意味がよく分かんない。」
兄「人間の頭脳というのは、不確かなものなのさ。
しかし、コンピューター、言い換えれば機械は与えられた命令通りに必ず動く。
だから、入力さえ間違えなければ必ず正解に辿り着くという訳。」
私「ますます分からなくなってきた。
えっと、つまり、機械は単純なことだけしかできないから、使い道を誤らなければ、うまく動くって事?」
兄「あぁ。概ねその通りだ。
小学生に理解できるのは、この程度かな?」
私「むぅ〜、馬鹿にして〜。
それに、単純な事しか機械化できないなら、そんなにコンピューターをありがたがることないんじゃない?」
兄「しんじゅ☆♪の言う事にも一理あるな。
しかし、俺が言っているのは、工業用の機械じゃない。
人間の頭脳に替わる、コンピューターの事を言っているのさ。」
私「それにしたって、それも人間が作ったものでしょ?」
兄「そうなんだが、事はそんな単純じゃない。
演算機能が極めて優れているという点が特出しているんだ。」
私「えんざん?」
兄「さっき、言ったろ?コンピューターは命令通りにしか動かないって。
基本的には、電気信号。
直流か交流か、その二つだけで、指示を出しているのさ。」
私「直流と交流のたった二つ?何、ソレ?」
兄「直流信号と交流信号。しんじゅ☆♪、夏休みの宿題で俺が手伝った理科の実験あっただろ?」
私「あぁ、電池を直列に並べるか、並列に並べるかで、同じ電流でも明るさが違うって奴…。」
兄「そう。よく覚えているな。
コンピューターと言っても、人間と違って、複雑な脳を持っている訳じゃない。
たった、二つの電気信号の違いで、人間の命令を判断させているのさ。」
私「たった二つで、どうやって判断するの。」
兄「2進数さ。」
私「何?」
兄「0と1の数字のべき乗だけで、全ての数字を表現している。
この数字をまたアルファベットに変換して。
人間の言語をコンピューターに理解させているのさ。」
私「0と1でどうやって。」
兄「べき乗だよ。例えば、2×2は?」
私「4だよ。」
兄「それじゃ、2×2×2×…と2を10回かけたらどうなる?」
私「えっと、8の、16の、32の、64の…。」
兄「遅い。2の10乗は1024。約1000だ。」
私「千…。」
兄「それじゃ、2×2×…の2を20回かけたらどうなる?」
私「千の10倍から、1万ぐらい?」
兄「答えは100万以上だ。
だから、掛け算じゃないんだって。べき乗。乗数なんだ。」
私「んん?分かんないよ。」
兄「あぁ。まだ乗数は無理か。
つまりこれで言いたいのはな、さっきしんじゅ☆♪は2を10回掛ける所から、20回掛けると聞いて、回数が10回増えたと思って、10倍にしただろう?
そうじゃなくて、もっと飛躍的に数字が増えるって事がいいたいんだ。」
私「ん〜10倍じゃないのか。」
兄「あぁ。元は2という小さな数字が、べき乗算するだけで、ここまで大きな数字になる。
ここで最初の電気信号に戻るが。
コンピューターに理解できるのは、0と1、これのみ。
ここにべき乗をすることによって、無限に数字が生まれる。
直流信号と、交流信号、このそれぞれが0と1に対応して。
人間の命令をコンピューターに読み込ませることができるって仕組みなのさ。」
私「んん〜、難しいや。」
兄「いや、お前はセンスいいよ。
この間も、ちょっと教えたら、因数分解が解けた。
10才で解けるとは、なかなかだ。」
私「えへへ。四則演算っていうんでしょ?
足し算、引き算、掛け算、割り算の事。この間覚えた。」
兄「まぁ、中学の数学も、小学校の算数の延長だからな。
基本的には四則演算ができれば、因数分解も解けるハズなんだが、同級生でもてこずっている奴はいるしな…。
俺もお前ぐらいの年には、因数分解は理解していたしな。
K(弟)ほどではないが。アイツは英語もできるし。
もう少し仕込めばプログラミングもできそうだ。
まぁアイツは俺と同じ神童クラスだしな。」
私「あぁ、兄さんも、Kも賢いよね…。」
兄「姉さんもな。
俺は学校の勉強で理解できない所が無いから。
勉強が理解できない奴の気持ちが理解できないんだ。
姉さんもそうだと言っていた。
お前、学校の成績悪いもんな…。
俺には理解できないな。
そんな、自分で納得できない状態でどんどん勉強が進んでいくのが。
そんな不確定要素のただなかにいて、平気な心境が。
お母さん、嘆いていたぞ。1と2ばっかだって。」
私「そんな…。でも、図工と音楽は5だよ。」
兄「あぁ、損だな。
社会に出ても役に立ちそうもない所が得意分野なんだな…。
まぁ、お前は芸術家タイプかもしれない。」
私「社会に出ても、役にたちそうもない…。」
兄「ふーん、学校の成績はイマイチだが、頭がいい…。
俺が思うに、お前は数学のセンスがあるから、多分、理論に強いタイプだと思うぞ。」
私「えぇ!?頭がいい??」
兄「芸術的な分野は、もう得意不得意だから、俺にはよく分からんが。
…お前って、俺の妹で、一番身近な人間なんだけど。
なんとなく、つかみどころがない奴だな。
予測不可能だ。」
私「予測不可能?」
兄「あぁ、俺だって、まだ13年しか生きていないけど。
周りの人間を見渡すと、だいたいこういう人だなって、予測がつくものなんだ。
こいつは、こういう失敗をやらかす、とか。
こいつは、この分野に才能がある、と思うと、そういう方面に強く興味を持っていたりとか。
大人にしたって、言動を窺えば、どんな職業か、とか。
どんな立場の人間なのかって、けっこう予測がつくものなんだが。
お前は、不確定要素が多い。」
私「不確定要素?」
兄「俺には、ただの引っ込み思案な女の子にしか見えないんだけど。
それだけじゃない。
うーん、なんか未知の可能性を感じるんだ。
なんていうのかな、そう、エジソンの様な。
ショパンの様な。
社会を揺るがすような、なにかしでかしそうな器だと感じるんだ。」
私「お兄ちゃんが、褒めてくれた…。」
兄「まぁ、見たまま、おとなしい大人の女性になって。
かわいいお嫁さんに収まって、おしまいかもしれないけど。
お前、勉強、頑張れよ。
女の人も、賢くあった方がいい。
賢い人は尊敬を集める。
尊敬を集める人は人に希望を与えられる。
俺は、そういう人になりたい。
そして、社会的に成功して、お母さんに楽をさせたいよ。」
私「お兄ちゃん、優しいね。」
兄「…俺は、父ちゃんと母ちゃんを見ていると…。
早く、自立してお金を稼いで、母ちゃんを助けたいんだ。
お前も、初期設定は俺たちと同じだから。
頑張れば、勉強も得意になると思うんだ。
もしかしたら、親父の血が濃いのかもしれないけど。
勉強、頑張って、高校も大学も奨学生になれるぐらいに頑張んないとダメなんだぞ?
俺たち、八百屋の子供なんだからさ。」
私「えぇ?高校で小学生?戻るの?」
兄「バッカ!奨学金で学費がロハって事だよ。
まったくしんじゅ☆♪は子供だな。のん気でいいよ、お前は。^^」
バリッ。
カシャーン、カシャーン…。
目を開けると、冷蔵庫のモーター音が低く鳴り響く、真っ暗な倉庫の中にいました。
あたりには、腐敗しかけの生ごみの匂いが充満しており、私は冷たいコンクリートの上にうつぶせて寝転がっていました。
微かに表の道路を高速で車が走り去る際に巻き起こった風で、シャッターが揺れて、微かな音を立てています。
わずかな隙間から、表の光が漏れて、暗闇に差し込んでいます。
(…夢か…。あれは、何日前の、出来事だろう…。)
体をくねらせると、後ろ手にビニールテープで縛られています。
涙を流したまま、眠ってしまって、瞳を開いた時に、まつげに白い粉がついています。
目をしばたかせると、私は深呼吸をして。
私「出してー!!ここから、出してー!!」
一度だけ大声で叫びます。
そして、諦めます。
もう、喉はカラカラで、こうして閉じ込められて、数時間は経過していました。
私は自分の手首とトラックの荷台にくくりつけられていたビニールテープを歯で喰いちぎる事は出来たのですが。
その後、自分の両手首をくくるテープを切ることができず、コンクリートに寝転がっていたのでした。
(…寒い…。そうだ。ダンボールを…。)
私は足首はくくりつけられていなかったので、立ち上がり。
足と口を使って、積み上げられていたダンボールの山の中に倒れ込みながら、コンクリートの上にダンボールを引きずりおろし。
その上に体を横たえたのでした。
(…お兄ちゃんが言っていた。
体の周りに空気の壁ができれば、保温効果があると。
新聞紙を体に巻きつけるだけでも、生存確率が上がるって。)
涙がこぼれてきました。
私以外の家族は日曜日に外出しているのです。
私は父に殴りつけられ、一人倉庫に置き去り。
家族で唯一私を救出してくれる母も外出中となれば、私が助け出されるのは夜になると思われ。
一人、空腹と孤独で悶えそうになりながら、母が帰宅するのをすがる思いで待っていました。
涙が後から後から、頬を伝います。
(…お兄ちゃんは、学校の勉強で、理解できない所は無いって言っていた。
私の事を、不確定要素の中にいて、よく平気だなって言っていた。
お兄ちゃんには、全てが理解できているのかしら?
世の中の仕組みとか、大人の人が考えていることが全部分かっているのかしら?
お兄ちゃんから見たら、正確に世の中の事が分かるのかしら?
コンピューターは間違わない。
間違うのは、人間だって言っていた。
お兄ちゃんの言葉は…。
お兄ちゃんの見ている世界は…。
潔癖だ。
アタシとは違う。
お兄ちゃんは、私とは兄弟だけど。
きれいな世界に住んでいる。
『…俺は、父ちゃんと母ちゃんを見ていると…。』
お兄ちゃんは不安そうに、言っていた。
なぜ、私はお父さんにこんな目にあわされるの?
なぜ、私は他の兄弟のように、かわいがられないの?
私が馬鹿だから?
私がお兄ちゃんみたいに、賢くないから?
コンピューターは正確だって、お兄ちゃんは言っていた。
初期設定さえ間違わなければ…。
お兄ちゃん、私の住んでいる世界は。
薄い、薄い、プラスチックの板の上。
いつ、足元が割れて、突き刺さるか分からない。
お父さんのご機嫌を損ねても、お兄ちゃんは私の様に扱われない。
お兄ちゃん、私は弱くて…。
とても、正確にデータを入れる事、できないよ。
お母さん助けて。
優しいお母さんがいないと、私、死んじゃう…。
涙が止まらない。
アタシは、今、間違ったデータを入れている。
それを認めるだけの力が無いよ…。
私は、今、間違ったデータを入れている…。
今は、それだけ認めるのが精いっぱい…。
『心優しい、お母さん。』
私を助け出して…。