昭和60年6月15日、41歳の若さで、母が死んだ。
病気が発覚した時点で既に末期ガンで、手の施しようが無く、あっけない最後だった。
私が小学6年生の時の事である。
祖母「ミキ(母の名)、ミキィー!なんでまだ若いあんたがぁー。」
祖母は泣き叫んでいた。
葬儀の法要の為、母の在所に訪れていた。
私達の母は自宅で仏式で葬儀を行ったが、母の在所は神道を信仰している。
それで日を改めて親しい者だけを呼び、法要を行う手はずだった。
残された四人の子供達はそれぞれ、制服を身に纏っている。
全員高校生から小学生だった。
祖母「あんた達、あんた達が、ミキを殺したんや!
この親不孝者め!親を死なせおって!
私に逆縁の不幸を味あわせおってからに!
お前達が死ねばよかったんや!!
お前らの前世が悪いからこうなったんや。
罰当たりものめが!!」
祖母は手許にあるものを手当たり次第、自分の孫に投げつけてくる。
不思議な事にこの祖母と父の性格は瓜二つだったのだ。
この二人が実は血縁関係にある、と知ったのは去年の事である。
祖母「神様に信心しておるミキがなぜ死なんとかんのや。
あんなにいい子やのに。
体が弱いのを構わずにお前らがこき使ったんやろう。
お前らの父親もどうしようもないクズや。
父親の血を引くお前らもクズや。
どっか、行け!!」
弟「イタッ。」
すると、祖母が投げつけた扇子が弟の瞼に当たった。
弟が目頭を押さえる。
彼にいたってはまだ小学2年生だ。
それまで、オドオドと物が飛んでくるのを避けていた私の意識がスッと変わる。
私「この、たわけめがぁ!
子を失った悲しみを孫にぶつけてなんとする。
祖先の因習にとらわれて、信心を妄信するのも大概にしろっ!
物を投げ散らかして、親を失った子供の悲しみが汲み取れるとでも思うのか!!
…さぁ、客人が来たようだ。
子供への躾は後にして、茶の支度でもせい。
そうせねば客人の前で醜態を晒す事になるぞ。」
ガララッ(ドアの開く音。)
ハッと、その場にいた全員が音のするほうに顔を向ける。
客「ごめんくださーい。
この度は、突然のご不幸と聞き及びましたので、こうしてお邪魔致しました。
あの…何か…?」
中年の女性が大きな荷物を持って、丁寧に挨拶をしていた。
兄弟達の視線が、女性と私との間を往復する。
私は玄関に背を向けて立っていたのだ。
祖母「このたわけ!!生意気を言いおってからに!
今まで、たわけのフリをして大人をからかいよったな!!」
と、他の兄弟達が止めるのも聞かずに祖母はメチャクチャに私をお盆で叩き続ける。
それはお嫁さんが飛んでくるまで続いた。
祖母は最後の忠告を無視していたのだ。
その後、私は高熱を出し、母の法要にろくに参加できなかった。
祖母は忌々しげに言い捨てた。
祖母「放っておけ、大人をバカにしている餓鬼に構う事はない。」
この経験から、母方の親戚へは、しばらく足は遠のいた。
母の葬式の時、くちさがのない、下品な親戚から意外な事実を知らされる。
私の両親は二親とも再婚同士だという。
また母は、父親の暴力に疲れ、一度在所へ帰りたい、と祖母に懇願していたのだ。
だが、祖母はそれを拒絶していた。
お前には4人の子供がいる。
今は弟が跡をとって、嫁と子供が3人いる。
お前達の居場所は無い。
一回結婚に失敗しているお前を実家に戻すのは世間体が悪い。
恥ずかしいから、自分でなんとかしろと突っぱねていたのだ。
私は腹が立った。
母は善良な人だった。
真面目に働き、税金を納め、子供達を学校に行かせてくれた。
これだけの事をした人間を自分を含め、周りの人間は見殺しにしたのだ。
何が、常識だ。何が世間体だ。
どうして誰も母を助けてくれないのだ。
なにか、役所にでも相談すればよかったんだ。
母が、自分でお金を稼ぐ事ができる状態にあれば、離婚できたんだ。
私達が幼いから、我慢して、無理をして体を壊して若死にした。
こうなる事はそろばん塾帰りの事件の時にすでに予想がついていた。
それを私は自分の保身の為に、黙殺していた。
そのかわり、母の言う言葉を全て受け入れ、学校でのいじめにも耐えていたのだ。
私は自分の浅ましさを呪った。
私を助けに来てくれた母は、自分が蹴飛ばされても、私の助けを父に懇願していた。
私は母の事よりも、自分が助かりたい一心で、悲鳴を上げていただけだったのに。
私は深く自己嫌悪した。
私が母を見殺しにした。
そんな罪悪感を抱えながら、私は成長していく事になる。