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少女時代8

小学校、中学校と暗い学生生活を送っていた私だったが。
高校入学で同郷の知り合いが減って、私はのびのびとした学校生活を手に入れた。
私が進学したのは、地元の県立商業高校だった。
生徒の学力のレベルが低いと言う事はないが、卒業と同時に就職となる。
つまり、子供の進学はこれで最後、という考えの親の元で育った生徒達に囲まれている。
ぶっちゃけ、中流か、下流の家庭で育った子供が多く、おおらかというか、がさつな生徒の割合も多い。
正直、いじめられっ子の王道を歩んできた私にとってはちょっとおっかなびっくりではあったが。
ひょんな事から、彼女達に気に入られる事になる。

同級生「あれー、何コレ。まさか、これ筆箱?」

同級生が手にとったのは、スライド式のアーモンドチョコの空箱である。

私「あー、うん。ちょっとね。」

ペンケースはあったのだが、その時失くしたか、父親に隠されでもしたのだろう。
父親からの細かい嫌がらせは続いていた。
私は弟が食べた後のチョコレートの空箱を筆箱にしていた。
(そもそも私にはおやつと言うものが存在しない。)
中には泥棒削りの短い鉛筆が数本入っており、直方体の面影を全く残さない消しゴムが転がっている。
すべて、中学の同級生がゴミ箱に捨てたものを拾ったものだ。

中学時代、親のいいつけを破り、隙をみてはたびたび図書館へ脱走する為に、家内のあらゆる所に筆記用具を隠し持っていた。
そのうちの一つを学校に持って来ていたのだった。

同級生「何それ。マジウケル!!ねぇ、ちょっと皆!」

ドレドレ、という感じで生徒が集まる。
茶髪ではないが、パーマやピアスをしており、かばんに鉄板を仕込んだロングスカートの少女達が集まる。
私は彼女達の爆笑を誘い、すっかり気に入られてしまった。

また、高校で使用していた財布が昭和60年当時の少女漫画雑誌「りぼん」の読者全員プレゼントの「ときめきトゥナイト」のイラスト付き財布だった。
高校生にもなるのに、財布を買うお金がもったいなかったのだ。
うわー、なつかしい。私も昔ソレ、持っていたよ!とおとなしめの女子達とも打ち解ける事ができた。

そんな訳で、あっさり快適な高校生活を手に入れる事ができたのだった。

友人Y「ちょっと、聞いてよ。この間すごく恥かしかったんだから。
    しんじゅ☆♪ちゃんと、駅でおしゃべりしてたらさ。
    この人いきなり、ジュースの自販機の前にしゃがみ込んじゃって。
    お釣りを漁りだしたんだよ。信じられる?」

私「金の匂いがしたんだ。あっただろ、100円。」

友人R「それって、泥棒じゃあ。」

私「どこに名前が書いてある。当然イン・マイ・ポケットだ!」

友人U「この子。こないだ、中庭のジュースの自販機の下を漁ってたよ。」

私「あれは私も落としたんだ。ついでに110円ゲットしたがな。」

友人U「それにしても、セーラー服で四つんばいはないでしょ。」

私「何を言う!1円を笑うものは、1円で泣くといわれてるじゃないか!
  お金はいい。人を裏切らない。
  毎日おいしいご飯が食べれて、清潔な服に着替えれて、温かい湯船に浸かる事ができる。
  お前らご飯の心配をした事がないから、悠長に構えてられるんだ!
  この幸せものどもがぁ〜。
  私がこの高校に入学する為にどれだけの、血と、汗と、涙を流したと思っている!
  落ちているお金は当然私のものだ!!」

おとなしめの女子達は、はいはい、また始まったよ、と引き気味になる。
ヤンキーっぽい女子達には、あんたは戦後の浮浪児か、と突っ込まれる。

余談だが、私の中学時代は10月まで水風呂だった。
子供にガス代はもったいない、という親父の理屈による。
夜9時以降の電気の使用は禁止。
こっそり、勉強でもしていた日にはタコ殴りにされる。
冬でも、基本的に私はこたつやストーブを使わせてもらえない。
子供には贅沢品だという。ただし、男子はいい。
学校から帰ると、家業の手伝いが待っている。
その後流れるように、家事があり、すぐに夜になってしまう。
本当に勉強する時間を作るのに苦労をしていたのだった。
ただ、私が高校生になると一番上の姉が就職をしており、その環境は随分良くなっていた。

「あんたは見た目と中身のギャップが激しいよね」
と言いながら、周りの女子達がお菓子をくれるのが常だった。

そんな時、友人Sが私にこっそり耳打ちをしてきた。
彼女は華やさとアンニュイさが漂う、美少女である。

友人S「しんじゅ☆♪。そんなに言うならさ。
    いいバイト紹介するよ。
    アンタ次第で、一日で1万、うまくすればもっと稼げる。
    どう?興味ある?」

ヒソヒソ声で、私も答える。

私「マジで!…非常に興味がある。詳しく聞かせて。」

友人S「じゃあ、人気の無い所で話そうか。」


私達は連れ立って、教室から体育館の裏の渡り廊下に移動した。

…私はそこで悲しい話を聞く事になる。



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