ふと、気づくと青空の中にいた。
まわりには白い霧が漂い、勢いよく流れていく。
雲だろう。
目の前5・6mほど離れた所にミカエルが佇んでいた。
佇んでいた、というより、私達は空中に浮遊していた。
彼の表情は固く、顔面蒼白となり、黙って私を見つめていた。
彼の灰色がかった、長い金髪が風にそよいでなびいていた。
彼を視認した途端、体中から怒りの感情が溢れ出し、胸の奥から猛烈な殺意が湧き上がる。
私「ミカエルッ!よくも私を抱いたな!」
ミ「………。」
私「よくも!よくも私を!
私が何も覚えていないのをいい事に…!
さぞかし滑稽だったろう!
それが高次の存在のする事なのかっ!!
…許さない、貴様を許さないっ!」
ミ「………。」
私は涙を流しながら、彼を罵倒した。
私達に強い風が吹きかける。
風を受けてたなびく漆黒の髪を手に受けながら、私は彼を睨みつけた。
両手をワナワナと震わせながら肘を曲げ、拳を握る。
私「…貴様の為に!
人の身でありながら、神となったこの私を愚弄するか!」
ミ「…!」
私「さぞや、滑稽だったろう!
貴様を迷い求めて、ボロボロになった私の姿を見て、嘲笑っていたのか!?
…何が愛だ!何がフォーカス100だ!私を騙したのだな!」
ミ「………。」
ミカエルは微動だにせず、固く口を閉ざし、私の言葉を受けるだけだった。
私「…弁明も無しか…。
舐められたものだな…。
いいだろう…。
私を抱いた代償は高くつくぞ!ミカエル!
その命をもって贖え!
死ねっ!!」
私が空中に手をかざすと。
掌の下に、直径1mほどの真空の刃が4つ現れた。
私の位置からは白い縦の線が四つ並んで見えただけだったが。
それは凄まじい勢いで回転する空気の刃で。
ミカエルめがけて高速で飛来していった。
なぜ、それができたのかは、私にも分からない。
ただ、私が大天使長メタトロン候補だというのならば。
私は彼より力が上だとは感じていた。
…だからこそ、もし私が彼をキチンと知覚できる状態で過去生の記憶を取り戻していたのなら。
彼を瞬殺してしまうだろう、とローカル1で考えていたのだった。
『死ねっ!!』
その言葉を受けて、真空の四つの刃が彼を襲った。
しかし、彼はその言葉を受けて、瞳を閉じ、斜めに少しうつむいただけだった。
彼の体に四つの白い刃が襲い掛かる。
風にたなびく彼の金髪を切り取る格好で刃が彼の体に食い込む。
その刹那、彼の両腕と胴体に2本、血飛沫をあげながら緋が走る。
キラキラと金髪が風にそよぎ、白い衣装が血に染まりながら縦に裂ける。
ミ「…ッ。」
ミカエルは鮮血を滴らせながら、膝を着いた。
私は滑るように、彼の側に近寄る。
片膝を立て、肘で体を支えようとするも身動きができない様子のミカエルを間近で見下ろす。
息を殺して、苦痛に耐えているミカエル…。
血まみれの金髪…。肩でゼイゼイと息をしている。
私はそれに構わず、俯いているミカエルの顎を左手で乱暴に掴み、自分の方に顔を向けさせる。
私「…何故だ。」
ミ「…っ…君は、本気じゃない…。」
私「戯言を…。骨が覗いているぞ!」
ミ「私、を…、本気で…、殺す気、なら…。
首を…切り落とせば、済む…。」
私「くっ。甘ちゃんだな…。
嬲り殺しにする為だ。
一瞬で終わらせたりはしない…。
貴様を苦しませて、苦しませて殺すだけだ!」
ミ「…君の…好きな、ように…。」
カッと頭に血が登る。
私「あぁ!遠慮なくそうさせてもらう!!
代償は高くつくと言ったはずだ!
お前の断末魔の悲鳴を聞くまでは、おさまらないからなっ!」
私は右手を高く振り上げ、再び真空の刃を出現させる。
ミ「………。」
ミカエルは苦痛に顔を歪めながらも、瞳を閉じた。
私「…気が変わった!
貴様など、一秒たりとも、生かしておく価値も無い!
今すぐ、ご希望通り、その首を切り落としてやるっ!!」
ミ「………。」
右の掌のすぐ上で、小さな真空の刃が高速でグルグルと回転し合っている。
私はさらに高く右手を振り上げる。
私「二度は無いっ!」
ミ「………。」
シュン…。
膝をついたのは、私の方だった。
真空の刃は消滅している。
ミ「…?」
ミカエルは瞳を開いたようだった。
私は両手で顔を覆って、泣いていた。
私「…貴様は卑怯だ!
自分を完全に好きにならせて、私が殺せるはずが無い…。
愛しているんだ…。殺せるわけが無い!
命乞いでも、なんでもすればよかったんだ!」
ミ「君は、悪くない…。」
私「触るなっ!
貴様を殺したいのも事実だっ!
なぜ、逃げなかったんだ!
私の方が力が上でも、避ける事だってできたはずだ!」
ミ「君を、愛している…。」
私「嘘だッ!
愛しているならっ!何故言ってくれなかったんだ!
こうして貴様と話していても、虫唾が走るっ!!
貴様は卑怯なんだっ!!」
ミ「…。」
私「ミカエル!愛している!
ミカエル!殺したい!
憎い!私を見殺しにした貴様が憎くてしょうがないんだっ!!
愛しいお前を殺せるわけがない!
だが、許せない。許せるはずもない!
あぁ、殺したい!殺したいんだっ!!」
ミカエルの腕が伸びて、私に触れようとした。
私はついっと立ち上がり、滑るように後方へ下がる。
ミ「…?」
私「貴様は残酷だ…。
貴様の愛は自己犠牲の愛だ。
そんな物は自己満足だ!
お前は好きにすればいいと言った。
私に殺されても構わないと…。
それが、残酷だというのだ。
私に愛するものを手にかけさせると言うのか?
私自身の手で、愛する者を失わせると言うのか?
それで、私の気がすむとでも?
お笑いだ…。
とんだ、茶番だ!
…許す気も無い。
だが、私に手をかけさせるのが、どれだけ残酷な事だと気づかないのか?」
ミ「君は…、私を…。」
ミカエルはふらつきながら、立ち上がって、こちらへ近づこうとした。
弾みで血が滴り落ちる。
全てが血まみれだった。
私「自惚れるなっ!近づいたら、殺す!
貴様など、私の手を汚すまでも無いっ!!
どこぞで野垂れ死ねっ!
二度と私の前にその姿を現すなっ!!」
ミ「くっ…。」
立ち上がった事で、痛みがぶり返した様だった。
しかし、それでも私に向って、手を伸ばそうとした。
私「触れるなと言ったはずだっ!
触れたら、殺すっ!
早く姿を消せっ!
…致命傷になる。」
ミカエルは瞳を閉じて、姿を消した。
目の前には青い空間。
どこまでもどこまでも青い空が続き。
冷たい風を受けて、雲が早足で通り過ぎていく、不思議な空間。
私は翼をはためかせ、急ぎローカル1へと帰還した。
そこがどこだったのかは分からないまま…。
ッドン!
ギシィ!
…自宅のベッドの上で仰向けで横たわっていた。
暗闇の中、自分の呼吸音だけが響いていた。
私「う…。ふ。……ふふ。………あは。…………は。
く。………くふ。………う。…………うふ…。」
私は両手で顔を包み込むようにして、泣き続けていた。
…全てに絶望していた。
愛する者が、憎くてかなわない。
私「ふ。………ふふ。…………うく。…………はぁ。
…………はは。…………あは。……はぁ。…………うふ。」
とめどなく、涙が溢れる。
肩が震え、胸が苦しいのだが、妙な虚脱感がある。
最悪だ…。これが、絶望、というものなのか…。
今まで、絶望的だ、と感じた事は、何度もあったが。
これが、『絶望』
半殺しの目に遭わされた、自分の父親にさえ、これほどの殺意を抱いた事はなかった…。
ミカエルを殺したくて、たまらない…。
だが、ミカエルを愛して、やまない…。
相反する感情を激しく抱き、彼を血祭りに上げた私だったが。
全てが、虚しかった。
私「う。……うふ。………ふふ。…………あは。…は。
…く。…………うく。……は。………はは……。」
てのひらは指先が離れて開き、顔をふんわりと優しく包む…。
その手には力が入らない…。
そして、涙はとどまる事を知らない…。
暗闇で漏れ聞こえてくる、自分の嗚咽を聞いて。
人間とは、本当に悲しい時。
笑うように泣くのだ、と、私は、その時、初めて知った。
…もう、生きている意味が無いと思った。
愛する彼に、愛されて、本当の幸せを知った、と思ったのに。
会えば、きっと殺さずにはいられない…。
彼のいない人生なんて、何の意味も無い…。
生きているのさえ、煩わしい…。
呼吸をしているのさえ、厭わしい。
死ぬことさえ、虚しい…。
もう、何も考えたくない…。
ふと、背中に違和感を覚えた。
背中から、ミシミシと妙な音がする。
顔から手を離してふと横を向くと。
てのひらに絹糸のような漆黒の長い髪が絡まり。
指の隙間からは羽根が見えた。
私は背中の羽根を収納せずに、ベッドに横たわっていたのだった。
私の体を包み込むように生えていたその翼は。
6枚全てが漆黒だった。
私「ふ。……ふふ。…う。……………はは…。」
もう、何も望まない…。
意識があるのが煩わしい…。
優しい笑い声に似た泣き声を漏らしながら、私の意識は闇に滑り込んでいった。
眠りの世界へと意識を滑らしながら、ふと思った。
闇の世界に救いはあるのかと…。
私は知らず、堕天使になっていたのだった…。
